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最も幸運な人とは、
最も幸運な人とは、カエデから樺の木を創り出した人ではなく、樺の苗木を丁寧に樺の木に育て上げた人である。
(アーノルド・ミンデル『プロセス指向心理学』)
しかし、やっかいなのは、自分がカエデなのか樺なのか、なかなかわからないということだろう。
むん。
(アーノルド・ミンデル『プロセス指向心理学』)
しかし、やっかいなのは、自分がカエデなのか樺なのか、なかなかわからないということだろう。
むん。
雨ニモマケズ・・・。
宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の詩を銅板に掘った飾り物が、
僕の家にあった。
おそらくは、岩手あたりの温泉宿のお土産のようなのだが、
小学生の僕は、なぜかこの詩が好きで、
両親が働きに出ていて、兄の帰りも遅い日など
薄暗がりの居間で何度もこの詩を読んだ。
株式会社アメニモ。
10年来営んでいる会社の社名は、
この詩に由来する。
この詩に描かれている人物とは、
遠く及ばない自分を知っているからこそ、
揺さぶられる。
「ソウイウモノニワタシハナリタイ」
最後のフレーズに背中が固まり、畏れにも似た気持ちと共に
涙する。
賢治には、岩手の岩石を東京の建設会社などに売りさばくために
病弱な身体にむち打って、営業に歩いていた時期がある。
賢治がセールスマンだった時代だ。
この詩は、その頃の手帳に綴られたメモなのだそうだ。
農業指導などをして、穏やかな人物として美化されがちな賢治だが、
思うようにいかない日々やおのが非力、無力に
どんなにか苛まれていたことか。
賢治の評伝などを読むと
実は、とても強情な面倒くさい人物だったように感じる。
そんな賢治が、生きづらい自分自身を勇気づけ、
鼓舞するために綴った言葉。
それが、この詩なのだろう。
アメニモ。
果たして、僕も未熟で至らず、自分の存在意義を揺るがされる日々を
この社名に支えられてきた。
いや、今も支えられている。
自分自身の光と闇。
この陰陽にこそ、現実があり、深みがあり、本当の自分がいる。
いましばらく、大いに迷いながら生きていこう。
研修の現場にいると参加者の佇む「現実」に関われることを
本当に幸せに感じる。
きれい事でないリアルな人生が、
我が事と重なり、愛おしくてならないからなのだろう。
先日来、ある企業の降格候補者研修に携わっている。
こうした研修を企画し、一人一人の可能性を輝かせようという
その企業の取組にも感銘するし、
参加する方々の奥に
確かに輝くものが垣間見えるのにも感動する。
こうした機会に恵まれ、関わることができることに感謝したい。
小学生の頃、染み込んだ
賢治の煩悶が、今も僕を突き動かしている。
面白いものだ。
むん。
僕の家にあった。
おそらくは、岩手あたりの温泉宿のお土産のようなのだが、
小学生の僕は、なぜかこの詩が好きで、
両親が働きに出ていて、兄の帰りも遅い日など
薄暗がりの居間で何度もこの詩を読んだ。
株式会社アメニモ。
10年来営んでいる会社の社名は、
この詩に由来する。
この詩に描かれている人物とは、
遠く及ばない自分を知っているからこそ、
揺さぶられる。
「ソウイウモノニワタシハナリタイ」
最後のフレーズに背中が固まり、畏れにも似た気持ちと共に
涙する。
賢治には、岩手の岩石を東京の建設会社などに売りさばくために
病弱な身体にむち打って、営業に歩いていた時期がある。
賢治がセールスマンだった時代だ。
この詩は、その頃の手帳に綴られたメモなのだそうだ。
農業指導などをして、穏やかな人物として美化されがちな賢治だが、
思うようにいかない日々やおのが非力、無力に
どんなにか苛まれていたことか。
賢治の評伝などを読むと
実は、とても強情な面倒くさい人物だったように感じる。
そんな賢治が、生きづらい自分自身を勇気づけ、
鼓舞するために綴った言葉。
それが、この詩なのだろう。
アメニモ。
果たして、僕も未熟で至らず、自分の存在意義を揺るがされる日々を
この社名に支えられてきた。
いや、今も支えられている。
自分自身の光と闇。
この陰陽にこそ、現実があり、深みがあり、本当の自分がいる。
いましばらく、大いに迷いながら生きていこう。
研修の現場にいると参加者の佇む「現実」に関われることを
本当に幸せに感じる。
きれい事でないリアルな人生が、
我が事と重なり、愛おしくてならないからなのだろう。
先日来、ある企業の降格候補者研修に携わっている。
こうした研修を企画し、一人一人の可能性を輝かせようという
その企業の取組にも感銘するし、
参加する方々の奥に
確かに輝くものが垣間見えるのにも感動する。
こうした機会に恵まれ、関わることができることに感謝したい。
小学生の頃、染み込んだ
賢治の煩悶が、今も僕を突き動かしている。
面白いものだ。
むん。
「仕事は労働じゃないから・・・」
ようやく雨があがったようだ。
昨日食事をしたお店のオーナーが、
無休でお店をやっているという。
「年中無休は、たいへんじゃないですか?」と訊ねたら、笑顔で一言。
「仕事は、労働じゃないから楽しいですよ」。
充実した表情だった。
自ら取り組みたい「仕事」としかたなくやらされている「労働」。
そんな使い分けがあるのだろう。
すべての人が、「仕事」をしている世の中にしたいものだ。
昨日食事をしたお店のオーナーが、
無休でお店をやっているという。
「年中無休は、たいへんじゃないですか?」と訊ねたら、笑顔で一言。
「仕事は、労働じゃないから楽しいですよ」。
充実した表情だった。
自ら取り組みたい「仕事」としかたなくやらされている「労働」。
そんな使い分けがあるのだろう。
すべての人が、「仕事」をしている世の中にしたいものだ。
等身大のラクダになる。
「なんじ〜すべし」の荷を少し降ろし、再びラクダに戻ろう。
身の丈のラクダ、身の丈のライオンになろう。
(ニーチェ『ツァラツゥストラはかく語りき』に寄せて)
義理や常識に縛られて、自分の本来の姿を勘違いしていたかもしれない。
「自由に、自在に、つながる/つなぐ」。
そんなことにワクワクする自分を思い出している。
つながり続けなければいけない、という「縛り」は、
ことを重たくするし、動きを鈍くする。
自身の本来の使命を楽しめばいい。
むん。
身の丈のラクダ、身の丈のライオンになろう。
(ニーチェ『ツァラツゥストラはかく語りき』に寄せて)
義理や常識に縛られて、自分の本来の姿を勘違いしていたかもしれない。
「自由に、自在に、つながる/つなぐ」。
そんなことにワクワクする自分を思い出している。
つながり続けなければいけない、という「縛り」は、
ことを重たくするし、動きを鈍くする。
自身の本来の使命を楽しめばいい。
むん。
「仕事の成果なんて、うんちだ!」
昔務めていた会社の先輩が、冗談めかして言った。
「仕事の成果なんて、うんちだ!」
何のことやら・・・。
続けて解説してくれた。
「村野さぁ、俺の仕事を褒めてくれるのは、うれしいけど、
そもそも仕事の成果なんて、うんちみたいなもんなんだよなぁ。
あんまり、うんちをすごいですねって言われても
微妙なんだよね・・・」。
そのときは、「?」という顔をするしかできなかった気がする。
先輩が何を言いたいのかなど、まったく想像もできなかった。
今、振り返ると深い言葉だったと思う。
成果として、その人を離れた仕事は、もはやその人自身ではない。
人を褒めるときは、事柄(成果)ではなく、
その事柄(成果)を生み出すに至った、その人自身の人柄やひととなりを褒めるのが
よいほめ方だと言われている。
事柄だけを褒めると「次もこの成果を出さないと褒められない」という重圧を与えるからだ。
件の先輩は、面白おかしく、仕事の成果をうんちに喩えたが、
要は、「うんちのような成果に目を奪われることなく、
俺自身の取り組み方や姿勢をちゃんと学べ」と言いたかったのだろう。
一方で、叱るときは、事柄を叱って、人柄を傷つけるべきではないということもよく言われるところだ。
しかし、不思議なもので、事柄(仕事の成果やアイディア)に疑問や異論を差し挟むと
多くの人は、自分を攻撃されていると感じるようだ。
ふてくされたり、逆ギレしたり、閉ざしたりはまだいい方で、
表面的には、「建設的なご意見、ありがとうございます」と言っておきながら、
何も変えるつもりのない人もいる。
うんち=自分。
そういうとき、そのひとの中では、まだ、その仕事は、自分を離れておらず、
お腹の中にあるのかも知れない。
お腹にあるうちは、まだ、「自分」だ。
便秘は、健康にも美容にも悪い。
気をつけよう。
むん。
「仕事の成果なんて、うんちだ!」
何のことやら・・・。
続けて解説してくれた。
「村野さぁ、俺の仕事を褒めてくれるのは、うれしいけど、
そもそも仕事の成果なんて、うんちみたいなもんなんだよなぁ。
あんまり、うんちをすごいですねって言われても
微妙なんだよね・・・」。
そのときは、「?」という顔をするしかできなかった気がする。
先輩が何を言いたいのかなど、まったく想像もできなかった。
今、振り返ると深い言葉だったと思う。
成果として、その人を離れた仕事は、もはやその人自身ではない。
人を褒めるときは、事柄(成果)ではなく、
その事柄(成果)を生み出すに至った、その人自身の人柄やひととなりを褒めるのが
よいほめ方だと言われている。
事柄だけを褒めると「次もこの成果を出さないと褒められない」という重圧を与えるからだ。
件の先輩は、面白おかしく、仕事の成果をうんちに喩えたが、
要は、「うんちのような成果に目を奪われることなく、
俺自身の取り組み方や姿勢をちゃんと学べ」と言いたかったのだろう。
一方で、叱るときは、事柄を叱って、人柄を傷つけるべきではないということもよく言われるところだ。
しかし、不思議なもので、事柄(仕事の成果やアイディア)に疑問や異論を差し挟むと
多くの人は、自分を攻撃されていると感じるようだ。
ふてくされたり、逆ギレしたり、閉ざしたりはまだいい方で、
表面的には、「建設的なご意見、ありがとうございます」と言っておきながら、
何も変えるつもりのない人もいる。
うんち=自分。
そういうとき、そのひとの中では、まだ、その仕事は、自分を離れておらず、
お腹の中にあるのかも知れない。
お腹にあるうちは、まだ、「自分」だ。
便秘は、健康にも美容にも悪い。
気をつけよう。
むん。



